~ コメントに寄せて ~
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先日秀輔の同窓生の方から長いコメントを頂きました。 あれから14年。 折にふれて"秀輔を想っていてくれる人がいるんだ"と思える事の嬉しさは、 言葉に表す事は出来ません。 秀輔の気配を感じたくて、写真を見ても、 文集を見ても、使っていた道具や、服の一つひとつが 年と共に色あせて、自分自身も歳を重ね 本当に寂し...
交通事故によって
16歳の若さで亡くなった
小林秀輔を偲んで
先日秀輔の同窓生の方から長いコメントを頂きました。 あれから14年。 折にふれて"秀輔を想っていてくれる人がいるんだ"と思える事の嬉しさは、 言葉に表す事は出来ません。 秀輔の気配を感じたくて、写真を見ても、 文集を見ても、使っていた道具や、服の一つひとつが 年と共に色あせて、自分自身も歳を重ね 本当に寂し...
2008年12月28日 あの忌まわしい事故から10年の月日が経ちます。 長い10年間でした。 そして、秀輔を亡くしてから、父、妹、義父、義母・・・ 私の大切な人達が秀輔の後を追うように逝ってしまいました。 とても寂しい家族になってしまいました。 10年前はみんな揃ってクリスマスを過ごす事が当たり前に思っていました。 今...
秀輔をなくして9年、 あの事故があってから、 正直なところ9年も生きてこれるとは思っていませんでした。 9年もこの寂しさと、つらさを感じていられるとは思えなかったからです。 それでも時間は着実に進み、早9年経ってしまいました。 今年新しい家族が増えました。 秀輔の姉が今年結婚したのです。 あの事故以来、いい...
先日ブログ記事にコメントを寄せて頂きました。 秀輔の事件の影でまだまだ苦しんでおられる方がいる・・・ このような方の存在を知れば知るほど、 何故私の大切な息子は、こんな男に・・・ 自分の力で切り拓いていけた、明るい未来を絶たれなければならなかったのか? 悔しい気持ちでいっぱいです。 そして、加害者はあ...
また、気持ちが重く沈むこの時期を迎えました。 それでも、年末、年始と、あの日から途絶えることなく、 秀輔の友人が家を訪ねてくれます。 あれから8年。いろいろな事がありました。 今朝新聞のエッセイに目が留まりました。 誰もが事故を起こそうとして起こしている訳ではないのだろうけれど、 被害にあった者はただた...
6年半前に重大な過失運転で、わが愛する息子 秀輔の命を奪ったフレイシア中沢社長が、再び罪を犯し書類送検をされました。 平成27年9月4日の新聞記事によると、諏訪労働基準監督署が、中沢本人とフレイシアの双方を地検諏訪支部に書類送検をしたと書かれています。本人もその罪を認めているとの事です。 起訴内容は...
12月28日は秀輔が事故に会った日です。 12月29日は必死に生きようと懸命に頑張った末に秀輔が旅立った日です。 2008年のあの日から、この年末の2日間は何をしても気が重い日です。 昨年の12月6日に秀輔の7回忌の法要をしました。 ここで自分自身にも一区切りつけたいと思い、 秀輔の仲のいい友人にお声をかけさ...
今年最初の雪が降りました。 とても寒く、身が凍えます。 秀輔を亡くし、早6年が経ちました。 この12月は7回忌の法要をします。 この次は13回忌。 6年後はどうなっているのかわかりません。 だから7回忌の法要は秀輔の大切な中学・高校の友人を 沢山お呼びしたいと思っています。 来年の3月、大学に通っていたはずの秀輔...
秀輔の友が、社会に巣立つ前の最後の夏を迎えている。 野球に、ボートに、秀輔と共にあの輝いた時間を過ごした仲間。 一人、一人自分の行く先を決め、春に向けて巣立つ準備をしている。 私はあの事故からまる5年。 自分の時を止め、家族の時を止め、 気を紛らわせるように仕事をして、生活している。 秀輔の友が社会人...
また5回目の命日が近づいてきました。 私達は5年前のあの日から少しも変わらず 寂しい日々を送っています。 いまだに秀輔がいなくなってしまった事が信じられなくています。 先日秀輔の友から連絡をもらいました。 29日・・・秀輔が旅立った日にまたみんなが集まってくれます。 5年経った今でも、彼らは秀輔を友として忘...
2008年12月28日最愛の息子秀輔を失ってからもうすぐ5年になろうとしています。 8月1日は私の父親で秀輔の祖父の3回目の命日でした。 秀輔を目に入れても痛くないほど可愛がり、 将来に大きな期待をかけていた父は 秀輔の突然の死により、大きなショックを受けて、 その後わずか1年半でこの世を去ってしまいました。 私は...
2013年1月13日 空はきれいに澄み切った晴天でした。 ピシッとしたスーツに身を包んだ青年達。 色とりどりに着飾った娘さん達。 秀輔と、共に学び、共に遊び、共に笑いあった仲間が成人式を迎えました。 正直、この中に秀輔の姿が見えない事が、辛く、悲しくて仕方ありません。 本来なら、今日この日私たちは、 秀輔の友...
民事裁判を起こしてから、約2年の月日が流れました。 諏訪地方裁判所に息子の損害賠償の訴訟を起こし、 東京高裁、最高裁と息子の名誉と無念を晴らすために、 戦ってきました。 訴訟でも最も訴えたかったことは、過失責任でした。 私は、事故において息子の過失はなかったと信じています。 したがって、過失割合は、 加...
秀輔が旅立って、3年が経とうとしています。 この寂しさに一生耐えていかなければならないかと考えると、 切なく、辛くて仕方ありません。 そんな中で、秀輔が幼稚園の年中から始めて、 中学2年まで習っていたピアノ教室のY先生とT先生から、ご連絡を頂きました。 以前から、両先生が心血をそそいで、作っておられたCDが...
また、命日を向かえてしまいました。 秀輔と話す事も、姿を見ることも出来なくなって丸3年です。 私達は秀輔の育って行く日々を、ただ当たり前の事と信じて疑わなかった日々。 この喪失感は埋める事ができません。 先日ブログで悔しい思いを綴ったばかりです。 加害者の(有)フレイシア 中澤清憲社長から、 昨日供物が一...
2008年12月28日 悪夢のような恐ろしい日からすでに3年が経とうとしています。 あの時から、私の家族は12月がなければいいと思うようになりました。 お正月もいりません。 今考えてもまったく信じられない3年間でした。 何人もの人に、"時が経てば・・・"、"時が解決してくれる"と言われました。 時は3年経ちました。でも...
8月1日 今日は私にとっては父、秀輔にとっては祖父の命日です。 秀輔を失ってから、1年と半年後。 父は秀輔の死を嘆き、悲しみ、 そのため体調を大きくくずし、命を縮めてしまいました。 そして昨年の8月1日に秀輔の元へと旅たちました。 今は秀輔と一緒に私達を見守っていてくれていると思います。 私はまだ秀輔の息づ...
3月11日 東日本大地震が起きました。 死者と行方不明の方を入れると3万人にも及ぶ大災害です。 新聞や、テレビの報道で、大切な人を亡くされた方が多数いらっしゃいました。 いつも側にいるべき人が、突然いなくなってしまう、 その悲しみ、辛さ、苦しさは私には良くわかります。 2007年12月。私の大切な息子を亡くして...
1992年9月23日生まれ
1999年 長野県下諏訪南小学校卒業
2005年 長野県下諏訪中学校卒業
2008年 長野県立諏訪清陵高校入学
みどり幼稚園の年中から始めた空手は聖道流空手2段。
小学校3年生から少年野球を始め、中学校では野球部に所属。副キャプテン。
社会教育の「下諏訪第3野球部」では、キャプテンを勤める。
また同じく年中から始めたピアノは中学2年の発表会時にショパン「軍隊ポロネーズ」を弾くまでに力をつけていた。
高校では端艇部に所属し、高校3年時の沖縄インターハイ出場を目標に練習に励む。
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