~ 卒業式 ~
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2011年3月5日 晴れ 今日は秀輔が通った諏訪清陵高校の卒業式です。 3年前の4月。学生服に身をつつみ、まぶしい位の笑顔で、 大好きな友達に囲まれながら迎えた入学式。 今でも目に浮かびます。 あの時の私は、私や秀輔の姉が学んだ学び舎で、秀輔もまた学び、 いつか私を超えていってくれるものと信じていました。 私は...
交通事故によって16歳の若さで亡くなった
小林秀輔を偲んで
2011年3月5日 晴れ 今日は秀輔が通った諏訪清陵高校の卒業式です。 3年前の4月。学生服に身をつつみ、まぶしい位の笑顔で、 大好きな友達に囲まれながら迎えた入学式。 今でも目に浮かびます。 あの時の私は、私や秀輔の姉が学んだ学び舎で、秀輔もまた学び、 いつか私を超えていってくれるものと信じていました。 私は...
2010年12月29日 秀輔の2回目の命日が来ました。 失ってから、どんなに秀輔が愛しくて、大切な人であったか・・・ 今だに寂しく、辛い日々を送っています。 秀輔の友人は今大学受験の真っただ中にいます。 その秀輔の友人が、この心身共に忙しい中、 秀輔のために自宅に来てくれました。 野球の友、学校の友、端艇部の友...
加害者である中澤清憲被告及び(有)フレイシアに対して起した 民事裁判が,昨年11月末に始まって以来,1年が経とうとしています。 加害者の中澤被告には被害者とその家族の 悔しさ、寂しさ、苦しさをまったく理解してもらえないまま、 民事裁判の判決が12月22日に出ます。 心からの反省も、誠意ある謝罪もまったくしない...
12月5日 少し早い秀輔の三回忌法要を行いました。 あの事故さえなければ、秀輔は大学受験に大忙しであったはず 秀輔の素晴らしい仲間がそれぞれの道へ巣立って行く前に、 どうしても今一度、秀輔とみんなを一緒に過ごさせてあげたい・・・ と思ったのです。 法要には50人を超える大勢の仲間が、秀輔のために参列してくれ...
9月23日 秋分の日 私と秀輔の誕生日です。 16歳で時を止めてしまった秀輔。 昔からの秀輔の友人が集まり、祝ってくれました。 寂しくて、温かい誕生日です。 12月で3回忌・・・言葉を聞くと月日の流れを感じます。 でも、悲しみや辛さは消えません。 秀輔の友人は成長し、来年は一人一人、自分の未来に向かって羽ばたい...
先日諏訪清陵高校端艇部の先生より沖縄インターハイの写真を頂きました。 秀輔が端艇部に入部し、このインターハイに出る事を目標に頑張っていた大会です。 私も秀輔の素晴らしい友人たちが、活躍する姿をこの目で見たいと望んでいましたが、 秀輔の祖父であり私の父が、8月1日に亡くなってしまい、残念ながらその願いは...
7月31日午前5時17分 秀輔の祖父・・・私の父親が82才で他界しました。 秀輔を亡くして1年と半年。 この短い間に2度も喪主を務めることになってしまいました。 それも息子と父親の・・・。 父は秀輔を失って以来、精神的に大きく落ち込んでしまい、 ほとんど毎日泣いている日が続いていました。 秀輔がいない事を嘆き、 ...
先日新聞に1つの記事をみつけました。 諏訪清陵高校の端艇部がインターハイに出場するにあたっての記事です。 1年と7カ月前、私の息子秀輔も、この仲間の一員として沖縄でのインターハイ出場を 目標に、練習に練習を重ねていました。 記事の中で、「亡き友の分も漕ぐ」と題し、秀輔へのメンバーの想いが綴られていまし...
下諏訪町立図書館に"夢への翼"というコーナーができました。 昨年末に息子の記憶が、色あせないようにと追悼集 "君という名の翼" を作り図書館に寄贈しました。 その折に、下諏訪で育ち、下諏訪を愛し、本が大好きだった息子の意志を残していきたいと思い、子供向けの図書を併せて寄贈しました。 そして、そこに掲げられ...
3月25日、事故現場に信号機がやっと設置され、点灯しました。 秀輔を2008年12月29日に失ってから、1年と3ヶ月・・・複雑な思いでいっぱいです。 以前から犠牲者、被害者が出ていたにも係わらず、行政の安全対策に対する不満。 もっと早く信号機が設置されていたら、秀輔は今も私と一緒にいれたのに・・・という悔しい想...
今日は秀輔の命日です。 あれから1年経ちました。 秀輔の姿を見ることが出来ず、 声を聞くことも出来なくなって1年です。 今思えば、何の話をするでもなく、 同じ家に住み、姿を見、ああ、今日も元気だと・・・ 思えた日々が幸せでした。 子供たちと家族一緒に暮らしていくことができることが当然の事と思っていました。 未...
12月20日に秀輔の一周忌の法要が終わりました。 一周忌の法要に間に合わせたくて、追悼集の作成に力を注いできました。 ようやく追悼集も完成し、お集まり下さった方々へ、 秀輔が少しでも皆さんの記憶から色あせぬようにと願いを込めてお贈りました。 お集まり頂いた秀輔の友人、知人、お力添え頂いた方々、親戚に・・・ ...
秀輔の追悼集ができました。 事故後、もうすぐ1年になります。 時と共に薄れていきそうになる秀輔の記憶。 私達はもとより、秀輔がこよなく愛した友人や、 秀輔に限りない愛情を込めて指導して下さった方々の 心から秀輔が消えてしまうのではないか‥‥‥ みんなの心、記憶から秀輔がいなくなってしまうのではないかという...
11月、刑事裁判の控訴が認められなかってから、1ヶ月以上経ちますが、 中沢被告からは何の連絡も謝罪もありません。 裁判の中で反省していると、 これから遺族への謝罪を真摯にしていくと裁判官に誓ったはずなのに・・・ 事故後の中沢被告の不誠実な態度から予想した通り、 裁判が終わってしまったら、まるで全てが終わ...
11月2日 検察庁より控訴断念の連絡がありました。 被害者参加参加制度を利用し、勇気を出して世間に名前と顔まで公表し 被害者遺族の気持ちを酌んだ判決をひたすら望み挑んだ裁判でした。 しかし、司法は今までの判例を重んじ、執行猶予をつけたことで、 遺族の情状を酌量したというのです。 判決の日、裁判長に遺族への...
今日、また"フレイシア"の求人広告が掲載されていました。 10月21日の判決の日、裁判長は、遺族の気持ちを考え、謝罪と反省をするようにと言っていたのに・・・ 中沢被告からは、何の連絡も、謝罪もありません。 それなのに、中沢被告は相変わらず仕事のことしか考えてないのです。 実刑でなかったばかりに、中沢被告は...
昨日私の友人が被告人が経営している会社"フレイシア"の求人広告が出ていたと教えてくれました。 裁判中、私は直接中沢被告人に何度も言いました。 息子をはねたあなたが、未だに車の運転をしようとしている事は許しがたい事であること・・・ 息子をはねた車がまだこの地を走っていることがどれだけ辛いかということ・・...
10月21日(水) 判決が下りました。 9月25日から始まった裁判。 事故後、被害者参加制度を利用することを決めてからほぼ半年が経っています。 私達遺族は実刑を強く望んでいました。 ・・・判決は禁固1年2ヶ月、執行猶予5年というものでした。 勇気をもって被害者として裁判に参加し、 我々遺族の気持ちを酌んでもらい、...